2007年12月
社長ブログ 拝啓 大東建託 多田勝美会長
先週、新幹線車内の電光掲示板からこのニュースが流れたときは、思わず目を疑いました。
昭和61年、たしか7月であったと思いいますが、高崎市内で多田会長とお会いしたのが初対面でした。
上場をはっきりと意識し、名古屋市金山駅前、住友生命ビルに本社を移転したばかりの当時の大東建設(現大東建託)株式会社。
思えば、既に全国26箇所に拠点を展開し、新たに6拠点を開設する為の現地採用試験会場が初対面の場所でした。
積水ハウスという当時既に完成された組織の中で見えてくる、将来の自分のポストの可能性にモチベーションを失い、退職していた私には、まだ々未完成で伸びシロある大東建設はとても魅力的に見えました。
ギラギラとしたエネルギーを感じさせ、土地活用ビジネスを「宝船」に例えたあの多田会長が、その「宝船」の全株式を譲渡するとは・・
きっと、何かあるのでしょう。
自社の請負物件の融資付けの為にリーマンブラザース証券と創った、10年後の買い取り条件付きノンリコースローンの危うさや、この国の少子・高齢化への無策な政治などから、もはや「この事業は宝船などではなく、いずれは沈み行く船」と見えているのでしょうか・・・
最高益を更新しているこのタイミングでの株式譲渡。
先見性をお持ちの多田会長ならではの計算があろう事は、想像に難くありません。
私は結局、同族や中部地方出身者を厚遇する傾向や、賃貸住宅の品質向上に熱心でない体質と、家賃保証の矛盾に幻滅し、沢山の嘘の退職理由を並べ、平成5年にライバル企業となるレオパレス21に転職した身。
論ずる資格は無いにせよ、とにもかくにも私に「組織とは」を教え、育ててもらった同社や多田社長、そして今も歯を食いしばって頑張っているであろう当時の仲間を思うと、なにか複雑な感傷を覚えます。
社長ブログ 上海一泊二日紀行
12月15日(土)朝出発16日夜帰着の一泊二日にて上海行き。強行軍ではありましたが、まさに「目からウロコ」の二日間となりました。(㈱ヒューマンランド小田島社長に全てを段取っていただき、感謝の言葉も見つかりません。)
「今更?」と思われるかも知れませんが、実は小生、中国大陸は初めて。
建材については、人件費の差からくる価格差や、最近の中国製品の品質も聞き及んでいるので、この種の視察が主目的であれば「目からウロコ」とはならなかったでしょうが、今回は、上海での不動産デベ事情とデジタル技術者集団とのミーティングが主目的。
「大国とはいえ所詮は共産圏の国」という先入観があった私は、上海の現状を見るに付け一から十まで驚きばかり。物価はいわば二極化しており、富裕層物価と低所得者層物価が存在するように思え、総じては物価が低いという印象はありません。よって中国大陸から日本への観光客が多いこともうなずけます。
中国はある意味、日本より資本主義国家であり、逆に日本はひょっとすると世界で最も進んだ社会主義国家では」と思わざるを得ませんでした。率直な感想を列挙してみると…
1.不動産デペロップメントでいえば、もはや上海は構想力・デザインで日本を上回っている。これは恐らく欧米文化の吸収力がすさまじく大きく、また、これらを導入するにあたっての意思決定が極めて早いことに起因する気がする。
2.現在の中国の不動産投資は間違いなくバブル状態、異常である。ゲートコミュニティ内の戸建住宅価格は2億円~3億円は普通で、売約されているがほとんどが居住していない状態であって、もっぱら値上がり期待の投機目的で購入されている。
3.中国は住まう人々の勤労意欲・産業全体の市場とも、我国よりはるかに活力に溢れている。
4.中国にかかわるビジネスには、我々にもまだまだ短期間で成功のチャンスがある。
要約するとこのようなところでしょうか…
例えば、不動産デベの分譲現場は… ゲートコミュニティーの形態を採っており、 (12月15日撮影)

日本では、はるか昔に山梨に実験線が作られているにもかかわらず、未だに実用化されていないのに対して、ここ上海では浦東(プートン)国際空港と市街地を結ぶ路線が最高速度430kmで営業運転されており、その間の距離約30kmをなんと7分20秒で結んでいます。

13:45ジャスト00秒に発車したので3分10秒程でトップスピードに…この約一分後には減速がはじまりました。 (12月16日撮影)
この地はもはや、共産主義ではありません。
社長ブログ 東京駅-羽田空港間の快適移動手段
ほとんどが羽田からの往復路利用です。
そこで、憂鬱になるのが群馬県から羽田空港への移動。
特に、通勤時間帯の東京駅からJRで浜松町経由でのモノレール移動です。
出張となると書類・PC・着替えなど、二泊予定ともなれば、すぐにキャスター付きバックのボリュームに。
そんな大きさのバックを引きずっての東京―浜松町間の満員電車は特に憂鬱。
周りの乗客に気を使うだけで疲れてしまいます。
ところが知る人そ知る良い移動手段があります。
それは東京駅八重洲口と羽田空港を結ぶリムジンバス。
特に電車でいう朝の通勤時間帯で、こちらは逆に車内も道路もガラガラなのです。
また、東京駅で山手線に乗り、浜松町で乗り換え、羽田空港へ行くとなると連絡時間を含め、40分ほど見ておかなければなりませんが、リムジンバスだと朝の7時・8時台でなんと25分で到着です。
料金は900円と、モノレールに比べ割高ですが、ゆったりとし、乗り換えなし。
さらには出発ターミナルの正面が停車場ですので、チェックインカウンターもすぐ近く。

首都高速で、レインボーブリッジを渡り、お台場を通過し空港へ。
是非、お試しを。
尚、東京駅の発着場所は八重洲南口を出ると正面に見えてくるヤンマービルの真下。
羽田空港では二階のバス発着所北端の1番乗り場となります。

所要時間はいつもと同じ25分でした。
尚、羽田から東京駅行きの場合は道路が混むこともあり、40分ほどを見込んでいた方がいいでしょう。
社長ブログ「干支一回り先(12年後)のこの国」
それが昨年をピークに数千人規模の減少に転じ、いずれ減少規模は年に万人単位となっていく
よく々考えてみれば、私達は世界にも例を見ない「人口増加」から一転「人口減少」する国に生きています。
厄介なのは、後にも先にもそんな経験を経た人がいないということ。
どうもピンと来ないのが正直なところでしょう。
しかし、今も刻一刻と人の数は減っている・・何か空恐ろしさを感じます。
人は、もっぱら自分の積んできた経験や価値観で物事を判断するもの。
時代の変化を感じつつ、変化を先読みするよりも、まずは様子見に軸足を置く。
そうこうしているうち、ある瞬間に変化を身近に感じ、変化についていけず時代に取り残されつつあることに気づく。
建築確認が厳格化され、着工数が激減したという最近の報道。
皆さんは感じているはずです。
近頃の住宅受注の落ち込みの主因はそれではないということを。
市場が変化し、縮小をはじめたのでしょうか?
今の受注減少はその予兆?!
いえ、もしかしたら本番に突入したのかもしれません。
地域密着の産業である住宅建設業界にある私達工務店も、様子見している場合ではありません。
生き残りではなく、勝ち残りを計るため、まさに動くべき、策を打つべきです。

50年後や100年後のこの国の人口はこうなる…といった統計データはよく目にしますが、近未来である干支一回り先(12年後)のこの国や、経済システムの在り方を語る本は中々ありません。
是非、読んでみて下さい。
日本経済新聞社「2020年の日本人」 住信基礎研究所主席研究員 伊藤洋一氏著
それにしても、わが国の政治のお粗末さには閉口します。
何十年も前から人口減少社会の到来が見えていながら、なぜ手を打ってこなかったのか。
例えば、目先の内需のための公共事業ではなく、子供一人につき6万円の育児手当を支給すれば、18万円/月の収入。
だれでも子供を作ろうとするのではないでしょうか。
将来をバラ色に見られるこのような施策の財源とする為に、消費税を10%に上げるといった議論であれば、ほとんどの人がウェルカムでしょう。
多子化政策を採れば、病院・育児用品・住まい・家電・家具・衣類・食品・教育etc・・
すべての業界が縮小均衡する必要も無かったはず。
内需の基本は人の数であるのに・・・・
対してアメリカはどうでしょう。
移民の積極受け入れにより、昨年10月に3億人を突破。
本著でいう2020年には3億6000万人程までに増加と予想されています。
ちなみに2020年の日本の人口推計は1億2423万人。
ピーク時の昨年対比でなんと354万人も減るのです。
政治の力量の差が、この差なのでしょうか?
なんたる無策・・
よもや、人減らしでCO2の削減目標のクリアを目指しているのでは・・と勘ぐってしまいます。
社長ブログ「始めまして」
リーディングビルダーズクラブを主宰しておりますエービーネット株式会社、代表取締役の林と申します。
当社は創業13年目、この建築業界ではまだ若い部類に入る企業です。
概ね15年のサラリーマン生活を経て、平成7年5月に設立しましたが、その当初から、「いずれは業界、特に地域密着の工務店の弱みを補完する事を仕事にしたい」との強い思いがありました。
ただ、私の職歴は、個人住宅・賃貸住宅建設会社の営業部門や管理部門の経験こそあれ、工務店の土台を支える技術系の現場経験が無く、とても地域密着の工務店の弱みを補完できる知識も器量もありませんでした。
そこで技術系の経験を積み上げるべく、地縁・血縁ある出身地に立ち返り、工務店で創業した次第です。
「創業」を実感できたのは、まさにホッチキスの針ひとつ、糊ひとつから自分で文具店に買いに行かねば揃わないと言う当たり前の事実と向き合ったときでした。
また、大企業の持つ「看板」の偉大さを思い知らされたりする時でした。
以後の5年は、まさに名も知れぬ零細の工務店経営者として、商品(建物)を企画し、チラシを創っては配り、お客様からのお問合せに対応し、ありがたくも御発注いただいた際には現場に入り、各部位の職人さんから「納まり」や「原価の積み上げ」「複雑怪奇な資材の商流」などを、まさに身をもって経験し、それを積上げさせていただきました。
そして創業5年目の平成12年、世は「ITバブル」と言われた頃です。
創業当初の「業界、特に地域密着の工務店の弱みを補完する事を仕事としたい」という思いを「IT技術」を使えば早期に実現できるのでは・・」と考え、WEBサイト上から様々なデジタルコンテンツをダウンロードによって提供するサイトを1年半の歳月をかけて構築し、サービスを開始・・しかし、これが全く受け入れられません。
結果、オープンたった1年半でこのサイトはあえなく閉鎖・・・
今でもそうかもしれませんが、当時ITに遅れているのは建築と金融の業界と言われていました。
平成19年となった今でも、当時のサイトをご覧いただくと、「7年前に構想したとは思えぬほど先進だが、建築業界には、まだ5年早い」と言われるほどの多機能なWEBシステム・・
私は「どれだけ」前を行き過ぎたのでしょう・・
このような失敗の中から、「WEB上ではなくフィールド上で」、「デジタルではなくアナログで・・」、お使い頂く工務店営業ツールの開発に経営の舵を大きく切り、現在に至っています。
時は流れ、ISDNという64Kの速度しかなかった通信回線が、今では光回線を使う100Mの速度の通信回線に・・ 100M程度だったパソコンのCPUも今や1Gが当たり前に・・
インフラや機器の急激な発展を見るうち、改めてWEBによる情報提供に挑戦する気になりました。
しかし御提供するコンテンツは7年前とは大きく異なり、様々なコンテンツのダウンロード中心ではなく、
工務店各位には、
・「WEBを使った集客手法と、折衝技術」
・「お客様から支持される差別化された考え方とその伝え方と建物」
・「アナログな営業ツール」
・・となり、
併せて、地域で躍動する工務店経営者の皆さんを横断的にネットワークすることで、経営者各位間での交流を実現し、失敗・成功事例の集積や、差別化に有効な手段・情報の共有を目指すこととしております。
なにせ久方ぶりに手を染めたweb構築ですので、まだまだ十分なものではありませんが、日々のレベルで改善してゆくとともに、ご提供するコンテンツも十分に吟味の上、真に差別化に有効なものを増やしてまいります。
どうぞ、末永く、よろしくお願い申し上げます。